恋人のランジェ 歌詞考察

こんにちは、こんばんは。今回はかの有名なボカロPであるハチさんの楽曲「恋人のランジェ」の歌詞の意味について考察していきたいと思います。とても長くなってしまいましたが、飛ばし飛ばしお付き合いくださればと思いますm(_ _)m

リンク→【オリジナル曲PV】恋人のランジェ【初音ミク】


目次

1.題名について

2.歌詞の直訳

3.歌詞考察「双子説」

4.歌詞考察「二重人格説」

5.解釈「アリスとエシラ」

6.まとめ


0.はじめに

題名の考察に入る前に、初めに断っておきますが「解釈は人それぞれ」だと私は思っています。ここに書いてある解釈、考察もその一つであり、それ以外にも色んな解釈の仕方があると思いますし、そういったところが面白いところでもあると思っています。

このページが歌詞の解釈の「参考」になれば、と思います。



1.題名について

冒頭、画面には

   Dear

Rangge Poppel

と書かれています。Dearは日本語の「拝啓」にあたるので、「拝啓 ランジェ・ポッペル」というような意味でしょうか。おそらく題名の「ランジェ」と同じ人物を指していそうです。つまり、この歌は「恋人」である「ランジェ」へ宛てた歌であると言えそうですね。

そしてさらに、この「Rangge Poppel」という綴り(つづり)にもどうやら意味があるようです。皆さんはドッペルゲンガーというものを知っているでしょうか?


ドッペルゲンガーとはWikipediaによると

「自分自身の姿を自分で見る幻覚の一種」、または「自分とそっくりの姿をした分身」でありそれを見ることは「死の前兆」であると思われていたようです。


そしてその綴りは「doppel genger」。doppelの「d」を上下ひっくり返すと「p」になり、「gengar」を並べ替えると「Rangge」になります。つまり「Rangge poppel」は「ドッペルゲンガー」が由来なのではないか、と考えることができそうですね。


本考察でもこの考えに沿って解釈を進めていきたいと思います。


2.歌詞の直訳

まずは歌詞を追っていきながら、その言葉の意味を解読していきたいと思います。

だいたい言葉の意味は分かる、解釈・考察が気になるという方は3.4、へお進みください。

二人きり 椅子取りゲーム
喜劇のように 開催を
彼女は言う 彼女に言う

「私には要らないわ」     初音ミクwikiより引用(以下同サイトより引用)


どうやらこの歌には登場人物が二人いるようですね。そしてその二人きりで椅子取りゲームをしているようです。普通椅子取りゲームは大人数で行うゲームです。二人で、というところが意味ありげです。これは何かの比喩であると思います。椅子にあたる「何か」を二人で取り合っている、という意味に思えるのです。

そしてどうやらその二人とは、題名考察で考えた通り「ドッペルゲンガー」ないし「お互いにそっくりな二人」であるようです。ですからMVにも同じ姿形の少女が二人登場していますね。

そのため「彼女は言う」「彼女に言う」という歌詞になるのですね。

「片方の少女は、もう片方の少女に、言う」

「私には(その椅子は)要らないわ」と。


喜劇:観客を笑わせることも目的とした芝居


猫の目に 黒い服
流れるは 滑稽な歌
まだ二人きり 椅子取りゲーム

そして どちらにも どちらにも

与えられたのは 羊皮紙の

契約書

この「猫の目に 黒い服」とはMVの後半に登場する「黒い猫」の事であると思います。そしてこの黒猫から「羊皮紙」でできた「契約書」が、二人の少女どちらにも、渡されたのですね。つまり、二人はその「黒い猫」立会いの下なんらかの「契約」を結ぼうとしているようです。

ちなみに猫はその瞳孔の様子が「月の満ち欠け」に似ていることから「月の象徴」とされているようです。この二人の「明と暗」「裏と表」にも関係してきそうですね。他にも黒猫は不幸の象徴であったり、すべての母「ムート・バステト」の化身、悪魔的な動物、などのとらえ方もあるようです。


そしてさらに特筆すべきは、この部分のMVに「Mrs. Pumkin」の看板が登場していることですね。左部分でくるくる回転しているのがそうです。本作「恋人のランジェ」も「Mrs. Pumpkinの滑稽な夢」も同じ「花束と水葬」というアルバムに収録されているので、何らかの繋がりがあってもおかしくありません。是非こちらも併せて聞いてみてください。

リンク→【オリジナル曲PV】Mrs.Pumpkinの滑稽な夢【初音ミク】


猫の目:猫の瞳孔は明るさに応じて大きく変化することから、変化しやすいことの例え

羊皮紙:文字通り、羊などの動物の皮革から作られた紙。古代の時代、パピルスなどと同様によく使われていた。パピルスに比べて耐久度に優れたため「正式な書類」などに使われた。

アナタの声が 私の 声 と
ひとつになることを 嫌がった
隠してみても 隠せないんだ

君と私は同じだから

さあ このゲームを終えようか

それは 二人の歌

さてサビです。ここで描写に「変化」があります。それは「視点」です。

今まで少女たちのことは「彼女」と歌われていましたが、ここでは「アナタ」「私」に変化しています。これは視点が「第三者」から「少女のうちの一人」に変わったということです。


そして歌われている内容は少し寂しいものでした。声がひとつになる、が何を指すかはさておき、片方の少女が「一緒になりたくない」というのですから。そしてそれを隠そうとしても、それはもう一人に伝わってしまうようです。なぜなら二人は「そっくり」なのですから。お互いのことはわかってしまうのですね。


そしてMVの歌詞を見ると「アナタ」や「私」という文字が二重になっています。これは、この少女、二人の声が重なっているということだと思いました。お互いが、お互いのことをうたっていると。


そしてこの椅子取りゲームを終えよう、と言うのです。

そんな似た者同士なのに一緒にはなれない、二人の少女の歌であるようです。続きを見ていきましょう。

窓の外 廃線を
辿り行く ガゼルの群れ
蔦が巻く 階段に

うずくまる お下げの子


彼女は言う 彼女に言う

「アナタとは居られないわ」

カラカラと 笑い出す

猫の目が 笛を吹く


本当は寂しいの 彼女は言う

この部分の情景描写がとても秀逸ですね。まるで絵本の1ページのようです。二人が椅子取りゲームをしている部屋の窓から、このような景色が見えるのを想像すると、もう人が使わなくなったはずの線路を自然界の動物が辿っているというのが何とも物哀しい気分になります。

そしてその蔦が巻き付いた古い階段におさげの少女がうずくまっている様子も、とてもしんみりとした気分にさせられますね。このような、何を意味しているのか明確には分からないストーリーの本筋からは逸れた脇道の描写から心情を揺さぶられるところが流石と言えますね。

廃線:使われなくなった線路が放置されているもの

お下げ:髪型の一種で、髪を左右に分けて結び、下に垂らしたような髪型。ちょうどミクちゃんのような髪型と言えそうです。

そして再び片方の少女が、もう片方の少女に向けて「アナタとは要られないわ」という言い放ちます。そしてそれを聞いてカラカラと笑い出す横で、先ほどの黒い猫が「ヒュー」と笛を吹きます。この歌の中に出てくる「喜劇」「滑稽」「カラカラと笑い出す」など笑いを表す描写はどれも、とても虚しく響く悲哀を含んだ笑いに感じるのは私だけでしょうか。


しかしそんなことを言いながらも、やはり「寂しい」と少女は言います。サビに続きます。




この花束を 君に捧げよう
たおやかなまでに 赤い花
悲しげな顔 耳を塞いだ

触れると壊れてしまいそうで

ねぇ 君の声が聞きたいな

それは 二人の歌

実はこの二人の少女には見分け方があります。それは「前髪の流れる向き」です。上の画像は「少女の左側」に前髪を流している方の少女です。そしてこちらの少女がこの歌の「歌い手」だと思われます。この後も大事な場面でMVに移っているのはこの「左」の方の少女ですね。


ですからこの「左」の少女から、「右」の少女に向けて「花束」が渡されたのだと思います。そういえば、冒頭の「Dear Rangge Poppel」の場面で椅子の上に「花束」が置かれていましたね。つまり「右」の少女が「Rangge Poppel」なのでしょう。このあたりから今まで似た立場にあった二人の少女に「変化」が生まれきていますね。


花と言えば、「花を持たせる」という言葉があります。「相手を喜ばせるために、勝利や名誉・功績などを譲り、相手を立てる」という意味ですね。この花束を君に捧げるということはつまり「椅子取りゲームの勝ちを譲ろう」という意味に思えます。つまり「左」の少女は「右」の少女に「椅子」を譲ったのですね。


そしてMVを見ると、悲しげな顔をして耳を塞いだのは「左」の少女のようです。もう意志を決めてしまったのか、耳を塞いでしまった「左」の少女に、触れてしまうとすべてが壊れてしまいそうで、触れられない「右」の少女。「左」の少女に「声を聴かせて」とお願いします。

世界で 一人だけ
美しい 君に言う
私を愛してよ

こんなにも こんなにも

そして「左」の少女からこのような言葉が続きます。世界で「一人だけ」というところがとても胸に刺さります。そっくりなはずの自分は含まず、「右」の少女だけ「美しい」というのですから。そして「わたしのことを愛してよ」と言います。「こんなにも、こんなにも、(私はアナタを愛しているのだから)」と。

私の声で あと少しだけ
君にこの歌を 歌おうか
何でもないわ 気にしないでね

私のことは もう

忘れてね

そして「左」の少女の言葉が続きます。私はこのサビの部分を聞くたびに悲しくて、せつなくて、とても胸が苦しくなってしまいます。


「右」の少女に花束をささげて椅子を譲った「左」の少女。椅子を譲りながらも「私のことは忘れてね」と歌います。「右」の少女が幸せになるためなら、自分のことは犠牲になってもいい、忘れられてもいい、という痛切なまでの「右」の少女、「ランジェ」への愛が歌われているからです。


題名の「恋人」についての意見が割れているのをよく見ますが、私はそれほど関係ないように思います。これほどまで「相手を想い」、「その幸せを恋い願っている」のですから、この二人が何であってもそれは「恋人」と言えるのではないでしょうか。

またいつの日か 会える時まで
その時はもっと 遊ぼうね
鳴り止んでいた この歌の中

椅子に座る君に幸せを

これも「左」の少女から「ランジェ」への言葉です。この二人がまた会える時が来るのか、それは分かりませんが、この別れの時にこのような前向きな言葉をかけられる「左」の少女に、とても胸が痛みます。そして椅子に座る「ランジェ」に幸せになってほしいと言います。

世界で 一人だけ
美しい 君に言う
私を 愛してよ

こんなにも こんなにも


世界は 一つだけ

君が言う 「一つだけ」

「あなたとは居られない」

「さようなら」

そしてやってきた別れのシーン。「世界は一つしかない」、だから「アナタとは要られない」、「さようなら」。どうしてこの二人が離れ離れにならなければいけないのか、と胸が張り裂けるほどに悲しい気持ちになります。そうでなければ二人は以前のように仲良く二人でいられたのに、と。


しかし、考察を進めると出てきますが、アリスが外の世界に歩いていくためには仕方のなかったことなのです。そう思えば思うほど、エシラの愛が胸に刺さります。


このシーンのMVには歌詞にない言葉があります。黒と白で書かれた言葉ですね。それぞれ、黒で書かれているのが「左」の少女の言葉、白で書かれているのが「右」の少女、つまり「ランジェ」のものだと思います


「左」の少女はこの場においても「ごめんね」「ごめんね」と謝ています。そしてランジェはそんな少女に「ありがとう、おやすみ」と言います。


私はこの言葉に少し救われました。「左」の少女はどこかへ消えるのではなく、ただ少しの間「眠るだけなのだ」と。また二人が出会えるといいなと願うばかりです。

以上が歌詞の直訳になります!だいぶ長くなってしまいましたね笑 すみません笑

ここからさらに歌詞にかけられた意味、その解釈をしていきたいと思います。


3.歌詞考察「双子説」

歌詞を見ていくと、「どちらか片方しか椅子に座ることができない」「二人の少女」の物語であると分かりました。そしてこの「椅子」と「二人の少女」がなんなのか、という点において幾つか説があるので紹介します。


その一つが「双子説」です。皆さんは「双胎間輸血症候群」ということばを聞いたことはあるでしょうか。これは双子なのに胎盤が一つしかない双子に起こる病気で「片方の胎児から、もう片方の胎児に血が送られることで、血液に偏りが生じる病気」です。特徴として、血液が取られる側の胎児(送血児)は成長が不十分になりやすく、また血液を受け取る側の胎児(受血児)は大きく成長しやすい、という特徴があります。


この送血児と受血児の関係、「左」の少女と「右」の少女の関係に似ていませんか?


つまり取り合っていた「椅子」とは、「生まれてこれる権利」のことだったのではないか、ということです。そう考えるとささげられた「赤い花束」は「送られた血液の象徴」のようにも思えます。

この考察に関してははこべさんの歌詞解釈ブログ(←リンク)にある考え方がとてもしっくりきます。是非ご覧ください(無断リンクすみません(-_-;)問題あれば消します)


4.歌詞考察「二重人格説」

これは先ほどの「双子説」と同様に、「二人の少女」と「椅子」の解釈の一つで、二人の少女とは「二重人格の2つの人格のこと」なのではないか、というものです。

私的にはこちらのほうがしっくり来ています。「世界」もとい「体」は一つしかないため、その「椅子」を「2つの人格」が取りあっている様子が描かれているのだと思うのです。


そう考えると、最後の「おやすみ」というセリフにもうなずけます。片方の人格が出てこなくなったとしても、それはまったくなくなったわけでもなく、「一時的に眠っているだけ」と考えてよさそうだからです。そして「二重人格説」を押す理由は次の話とも関係しますが、その2つの人格というのが。ハチP作の別の曲「Persona Alice」に出てくる「アリスとエシラ」だと考えるとすべてのピースがピタっとはまるからです


5.アリスとエシラ

先ほども話した通り、この物語に出てくる「二人の少女」を「Persona Alice」に出てくる「アリスとエシラ」なのではないかと私は思っています。


こう考える主な理由はアルバム「花束と水葬」は「Persona Alice」のためにつくられたアルバムだからです

この「恋人のランジェ」が収録されているハチP初めてのアルバムである「花束と水葬」は、「Persona Alice」を中心に据えて、それを補完するように曲が並んでいるといわれています。

ここで「Persona Alice」の曲の内容をざっくり説明すると以下の通りです

湖のほとりでくらしていたAliceは、人に会うと死んでしまう呪いをかけられてしまったためずっと一人でいました。湖面に映る自分の分身「エシラ」を除いては。(エシラという名前はAliceの逆スペル、ecilaから来ています)しかし、そこに一人の少年が表れAliceを外の世界に連れだしてくれました。しかしその代わり、湖面のエシラとは離れ離れに、そしてAliceの両目は光を失ってしまったのでした。

このAliceがエシラと別れる時の話が「恋人のランジェ」なのだと考えると、色んな符号がぴったりと一致すろのです。


ここまで読んでくださった方には是非、「Persona Alice」を聞いて、そのエシラの気持ちになった上でもう一度「恋人のランジェ」を聞きなおして見て欲しいと思います。


6.まとめ

長くなりましたがまとめです。恋人のランジェは、他のいくつかの曲がyoutubeにも投稿されている中で、youtubeには投稿されなかった曲の一つです。本当のところは分かりませんが、この曲が「悲しい曲」だったからなのかな、と個人的には考えています。ニコニコ動画と比べてYoutubeは少し「明るい場所」であるように個人的に感じており、その雰囲気に合わないと判断されたのかな、と。真意は分かりませんが笑。ここでニコニコ動画のハチPの動画説明文を引用しておきます。

■或る日、気がつくとそこには当たり前の様に彼女がいた。
 彼女は自らを「Rangge Poppel」と呼んだ。
 猫が厭味ったらしく笑っている様に見えた。

 「遊びましょ」彼女は言った。

 ああ、そうか。それなら私はアナタを受け入れよう。

結局、私には「Mrs. Pumpkinの滑稽な夢」との関係はうまく説明することができませんでした。こうなのでは無いか?など意見があれば是非コメントお願いします!


最後に、これは解釈や考察を超えて完全な個人の想像なので話半分に…笑

この恋人のランジェ、はAliceとエシラの別れの物語であると言いましたが、同時にハチさんの中の「ごく個人的な心内世界」との決別の感情が歌われているかもしれない、というものです。さすがに飛躍ありすぎて全く自信はありませんが…笑。もし興味があればそういった線でも考えてみても面白いかも…?


以上です!ここまで読んでくださりありがとうございました!!

意見やリクエスト等あればコメントまでどしどしと!

それでは!


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