結ンデ開イテ羅刹ト骸 歌詞考察

かなりマイナーな曲になりますが、「結ンデ開イテ羅刹ト骸」について考察していきたいと思います。

目次

1.ところでこれ何の曲?
2.歌詞考察
3.総括
4.米津さんの本人解説



1.ところでこれ何の曲?

初めて聞いた方はとても戸惑ったのではないでしょうか?歌詞もとても難解なものですし、テーマも重たいものが選ばれています。僕もはじめ聞いた時はチンプンカンプンでした笑

ではタイトルから見ていきましょう。
「結ンデ開イテ」とは子供遊びでお馴染みのフレーズですね。「むーすんで、ひーらいーて、手ーを打って、むーすんで~」と続くあの歌です。恐らくモチーフになってるのはこの歌でしょう。しかし、この歌のテーマはまた別のものだと思います。後でまた話しますね。

そして恐らくこちらがメインテーマです。
「羅刹ト骸」これがこの歌全体を通して歌われているように思います。辞書を見ると
羅刹…
人の肉を食う凶暴な悪鬼。のちに仏教に入り,羅刹天とされる。
骸…
1 死体。なきがら。また、首のない胴体だけの死体。「冷たい―と化す」
2 朽ちた木の幹。
3 からだ。特に、胴体。
という風に書いてあります。そしてこれをこの歌に寄せて解釈し直すとこういう風に受けとことができます

「羅刹…他者から一方的に奪い去っていく者」
「骸…他者に貪られ奪い去られる者」


つまりこの歌は「世の中には奪い去る者と奪いさられる者が存在する」と言うことを訴えたものに思えるのです。
では本題の歌詞の考察に移りましょう

2.歌詞考察


さあさあ今宵も無礼講 獄卒衆すら巻き込んで
宴の瀬にて成り下がるは 純真無垢故質の悪い
悪虐非道に御座います

何やら怪しい、和装の犬でしょうか。彼が今宵の物語の案内人のようです。これから語られる物語、そのプロローグのようなものではないかと思います。

獄卒衆とは監獄の見張り、純真無垢とは汚れのない綺麗な様子、悪逆非道とは文字通り残虐で酷い行為のことですね。後に米津さん自身の解説でも語られますがテーマにもなっている「無邪気」の事でしょう。


片足無くした猫が笑う
「ソコ行ク御嬢サン遊ビマショ」
首輪に繋がる赤い紐は
片足の代わりになっちゃいない
や や や や 嫌 嫌 嫌
さて、PVではその歌詞になぞらえたような絵が「花札」のような風合いで描かれています。
この場面で言えば、片足を無くした猫が赤い紐で繋がれている様子ですね。
この猫の様子、もといこの歌詞全体に言えることですが、解釈の仕方が2通りあります。
  1. 文字通りの物語、絵本のようなもの
  2. 何かを風刺した比喩
僕の考えでは、2の方が近い気がします。つまり猫とは現実に存在する「ひと」のたとえであるということです。ここからの考察はすべて2に基づいて行っていきます。

そして、片足失くした猫について。しばしば「立つ」ということは「自立して生活をする」「生計を立てる」ことの比喩として使われます。つまり「片足をなくす」とは、生計を立てきれない、しっかりと生活するだけのお金を得ることが出来ない、ことの比喩だということです。
そして、「首輪に繋がる赤い紐」はその片足の代わりになっちゃいないと言うのです。筆者が思うにいわゆる「ヒモ」、女性に生計を依存して生きている事の暗示だと思います。赤という色はよく「愛」を連想させる色として用いられますよね。そしてその「赤い紐」は「片足」の代わりになんかなっちゃいない、ということでしょう。若しくは「立つ」が「金銭的に自立する」ことではなく「精神的に自立する」ことだと解釈した場合、繋がれた赤い紐では満足せずに、他の女性を求めてしまう男のことを歌っているのかも知れません。

つまり片足を失くした猫は、片足を奪われた「骸」でありながら他者に依存する「羅刹」なのでしょう。

列成す卒塔婆の群れが歌う
「ソコ行ク御嬢サン踊リマショ」
足元密かに咲いた花は
しかめっ面しては愚痴ってる
卒塔婆とは仏塔を簡略化して、経文などを書いた木の御札のことです。
列をなす卒塔婆、これも恐らく何かの比喩だと思われます。列をなしていることや、躍りましょとお嬢さんを誘っている所から何やら遊びに興じている「群衆」と考えることが出来そうです。
そして後に述べますが、この歌を歌っているのはサビに出てくる女の子であり、彼女は「遊女」というのが僕の考えなのですが、つまり彼女はその「美しさ」を売りに商売をしているわけです。その視点で考えてみれば、「足元」で「愚痴」っている「花」とは「彼女よりも美しくない(あるいは附子な)」「女性」が「彼女に嫉妬し、陰口や悪口」を言っている、そんな風景ではないでしょうか。

つまりここでも美しさ故に踊りに招かれ、時に貪られる「骸」であったり、その美しさで他者を傷つける「羅刹」としての構図が見て取れるわけです。


腹を見せた鯉幟(こいのぼり)
孕(はら)んだのは髑髏(されこうべ)
「孕む」とは妊娠する、という意味ですが、このワードはしばしば望まられなかった妊娠や、綺麗事としては語られない時に用いられます。それが、先程彼女が遊女であると言った根拠の1つです。
そして、そう考えた時、腹を見せた鯉幟とは何のことでしょうか。鯉というワードからは、「まな板の上の鯉」というフレーズが連想されます。そして鯉幟とは筒状に縫われた布を鯉に見立てたものですよね。もう想像がついた方もおられるかも知れませんが、恐らく「客の接待をする、裸になり無防備になった遊女」の事でしょう。そして「孕んだのは髑髏」という歌詞。その昔、遊女は妊娠してしまったらすぐに堕ろさなければいけなかったそうです。つまりいずれ死ぬことになる命、髑髏を孕んだのです。

ところでこのタイポグラフィと言うのでしょうか、文字に絵のようなニュアンスを乗せて書いているこのPV、いいですよね笑。かなり筆者は好きです。続いてサビです。

やい やい 遊びに行こうか
やい やい 笑えや笑え
らい らい むすんでひらいて
らい らい 羅刹と骸
一つ二つ三つで また開いて
五つ六つ七つで その手を上に
松の木には首輪で 宙ぶらりんりん
皆皆皆で 結びましょ
さてサビですが、ここまで考察してきたことから皆さんで想像してみてください。結構えげつないこと言ってるというのが筆者の考えです。文字にするのが少しためらわれるレベルですね笑。

ちなみに、4が飛ばされているのはその不吉な印象からでしょう。あえて飛ばして意識させるわけですね。そして「また開いて」というフレーズと、2つのものを繋げる「結ぶ」というワードですね。
米津さんは自身のことを「羅刹」なのだと笑っていました。そこから考えてみてください。


さて2番です。
下らぬ余興は手を叩き、座敷の囲炉裏に焼べ曝せ
ここは文字通り受け取ってよさそうですね。下らねえ話なんざ、座敷の囲炉裏で燃えちまえ!そんな感じでしょう(ちょっと適当すぎますかね笑)。


下賤な蟒蛇(うわばみ)墓前(ぼぜん)で逝く
集(たか)り出す親族争いそい
「生前彼ト約束シタゾ」
嘯(うそぶ)くも死人に口は無し
や や や や 嫌 嫌 嫌
蟒蛇とは巨大な蛇のことですが、大きなものでも丸呑みにする様子から「大酒飲み」という意味もあります。今回は後者の意味でしょう。

この歌詞は想像しやすいですね。
大酒飲みが寿命の手前で死んでしまい、その遺産目当てに親族が「集り」、財産争いをする様子です。
生きていた彼と約束した、という嘘も死んでしまっては口出しできない訳ですね。こちらはわかり易い「羅刹と骸」の構図です。

かって嬉しいはないちもんめ
次々と売られる可愛子ちゃん
最後に残るは下品な付子(ぶす)
誰にも知られずに泣いている
誰もが子供の頃にしていた懐かしい遊びが出てきましたね。「花いちもんめ」です。この遊びは花を1匁(昔のお金の単位)で売り買いする様子を模した遊びですが、花とは「女性」を表す隠語ですから、女性の身体を売り買いする歌なのですね。そして売り買いされることすら、恐ろしい行為ですが、そこで売れ残った附子はどうでしょうか。身体を売り飛ばされ無かったことは喜ぶべきでしょうが、同時に自分はそれにすら値しないことを思い知らされることにもなるのです。
これも恐ろしいほどに「羅刹と骸」ですね。

昔はその意味なんて知らずに遊んでいたと思いますが、かなりえげつない遊びです。「無知であり、純真無垢であるが故に、堂々と残虐非道を行える」とは正にこのことですね。他にもえんがちょ、指切りげんまん、てるてる坊主、通りゃんせ、かごめなんかも、知らず知らずに恐ろしい遊びをしてる例ですね。


やい やい 悪戯いたずらしようか
やい やい 踊れや踊れ
らい らい むすんでひらいて
らい らい 羅刹と骸
三つ二つ一つで 息を殺して
七つ八つ十で また結んで
高殿(たたら)さえも耐え兼ね 火傷を背負い
猫は開けた襖を閉めて行く
2番のサビでは1番とは少し変わり、カウントが3つ2つ1つと下がっていく方になっていたり、7つ8つ10と9が抜かされています。4が「死」であれば9は「苦」でしょうか。高殿(たたら)とは、元々たたら製鉄と言い、野ざらしで製鉄をする工法のことです。
それを次第に天井の高い建物で行うようになったことから高殿でたたらと読むようになったものです。このたたら製鉄の様子から、あなたは何を連想しますか?

また、「襖を開けるのは普通の猫、閉めるのは化け猫」とよく言いますから、作中で語られる猫は化け猫なのかもしれませんね。少女を遊郭の世界へと誘った化け猫は、少女がそこから抜け出せないよう、襖を閉めてしまう…

結局皆様他人事(結局皆様他人事)
結局皆様他人事(結局皆様他人事)
結局皆様他人事(結局皆様他人事)
他人の不幸は 知らんぷり!
この歌の、ある意味で確信となる部分ですね。ここまで様々な「羅刹と骸」が描かれてきますが、米津さん曰く、それらは全て「日常」であると言います。そして歌い手である彼女からすれば、それらも全て、「他人事」であるのでしょう。それは自分自身のことも「他人事」として無下にされた経験からそう考えるのかも知れません。このゲス顔からは彼女の残酷な本性が見え隠れしますね。


やい やい 子作りしようか
やい やい 世迷よまえや世迷え
らい らい イロハニ惚れ惚れ
らい らい 羅刹と骸
一つ二つ三つで また開いて
五つ六つ七つで その手を上に
鳥が泣いてしまわぬ 内にはらへら
一つ二つ三つで また明日
はい笑。ダイレクトなやつきましたね笑。これに関して米津さん自身も「羅刹で吹くw僕自身も羅刹なのだから」と語っています。つまりはそういうことです笑。そして、鳥が泣いてしまわぬ内に、とは早朝、夜が明けて鳥が鳴き出す前に、ということでしょう。そして「はらへら」とは「腹減らし」つまり「堕胎」のことでしょうね。その昔、堕胎のために遊女は、店じまいの後、体内に雪や毒になる実を押し込み、それによって堕胎していたと言います。その事でしょう。


悪鬼羅刹の如くその喉猛らせ、
暴れる蟒蛇の生き血を啜る。
全ては移ろうので御座います。
今こうしている間にも、様々なものが。
はて、何の話をしていたかな?
まあ、そんな与太話は終わりにしましょう。
さあ、お手を拝借。
一つ二つ三つで また明日
そしてエピローグ。羅刹という者は、様々なものを貪り、奪い去り、その手に掛かった者は為すすべもなく、蹂躙されるのですね。そしてそれをはぐらかす案内人。難しいことは煙に巻こうという魂胆ですね。この辺りのバランス感覚はさすがと言わざるを得ないです。


3.総括

という事で、結局この歌は「遊女である少女の見ている日常」ということになります。それはとても違和感のある物ですが、これに似た風景はそこらじゅうにあります。そしてそれを私たちは知ってか知らでか、「知らんぷり」しているのですね。「他人事」ですから。だからと言って「無視するな!」とか「こうしろ!ああしろ!」といったことを言っている訳では無い。ただ訴えているのです。「あなたはこの違和感に、気づいてますか?」


4.米津さん本人による解説

最後に米津さん本人による解説を掲載します。僕はこれを元に考察を行いましたが、解説自体がやや難解で、正しく解釈できているかも怪しいところです笑。もしも他に「こういう考えもあるよ」というのがあれば教えてください笑。
・子供というのは純粋故に残酷で、虫や小動物を玩具だと思っていたりする。ただ気に入らないという理由だけで駄々をこね、無邪気と言う名の邪気を振り散らす。
・曲中で花札になっているもの達は、ただの日常風景。片足の無い猫が歪んだ愛に繋がれ窮屈に笑い、卒塔婆の様な電柱は列を成して踊る。甘い汁が零れたなら蟻達はどこからともなくやってきて、我が物顔で平らげる。付子は燃えないゴミ、その容姿を呪い、別嬪を妬み、泣く。何でもない混沌とした日常。所属、こんな世の中は「与太話」に過ぎない。
・暮らしの中で人々は愉悦を求め、半ばその為だけに生きる。死も苦しみも欲しくない。無関心の塊だ。裏を返せば愛すらも無関心になる。
解説をしようと思ったが、やはり僕が言える事は限られている。
僕のミクボーカル曲は女の子に歌わせたかったから初音ミクに歌わせてるんだけど、この曲は自分で歌いたくなってきた。いつかバンドでやるかも。

「この曲の解説をして!」などのリクエスト等あれば、筆者は泣いて喜びますので、是非コメントからして下さい笑。宜しくお願いします。それでは。

とある異学生の高床式倉庫

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1コメント

  • 1000 / 1000

  • くそ

    2024.08.25 07:09

    興味深い考察でした。 私自身、最近この曲に出会い、この曲の雰囲気とリズムが好きでリピートしていたのですが、歌詞がこの和風のリズムとMVの遊女に合っていてより好きになりました。